デス・オーバチュア
第271話「コーディネイション」




深夜零時。
日付が変わり、『祭り』の開催日まで残り十三日となった。
昨日のうちに、タナトス、クロスティーナ、ファーシュ、その他数名が極東より帰国している。
その他のメンバーが行きとは微妙に変わっていた気もしたが大した問題ではないだろう。
呼び戻したかったタナトスとクロスティーナさえいれば……。


「…………」
僅かに欠け始めた月の光を浴びながら、エラン・フェル・オーベルは、テラスで紅茶を飲んでいた。
「……つまり、一週間ほど休みが欲しい……ということですか?」
エランは紅茶を飲み干したティーカップをソーサーの上に戻すと、ゆっくりと口を開く。
「……お許し頂けるなら……」
彼女の後には、透き通るように淡い青の長髪と瞳の青年が跪いていた。
クリア国……いや、エランに仕える青の守護騎士ヴァル・シオンである。
「やはり、ガルディアの祭りは対岸の火事では済まないと……?」
エランは憂鬱そうな表情をしていた。
「はっ、ガルディアの影に潜むモノ、裏側に隠れているモノ……この二つはとてつもなく邪悪で強大……放置できる存在ではないかと……」
「そうですか……」
ふうっとエランは軽い溜息を吐く。
「……解りました、ガルディアの祭りの期間だけあなたに休暇を与えましょう」
「我が儘を許して頂き感謝致します、我が主……」
ヴァル・シオンは跪いたまま、深々と頭を下げた。
「その頃にはフレイアも蘇っているでしょうから、こちらの心配は無用です」
もう一人の守護騎士、フレア・フレイア。
彼女は、タナトス達の帰国よりもかなり前に、何者かによって王城へ『送り返されて』いた。
半身(フレア)を失い、消耗しきった状態で……。
「…………」
「彼女(フレイア)だけでは留守を任せるのに少し頼りない……ですか?」
エランは、ヴァル・シオンの心情を読みとった。
「いえ、そんなつもりは……」
「確かに、彼女達は二人で一人の守護騎士、半分(フレイア)だけではあなたには遠く及ばないでしょう……ですが、それでも、十三騎の三、四人なら退けられる強さはあるのですから……問題はないでしょう」
元々、対を成す守護騎士(存在)でありながら、フレア・フレイアとヴァル・シオンの間にはかなりの実力差が存在する。
フレアとフレイアは二人がかりでやっと、ヴァル・シオンの三分の一ぐらいの強さしかなかった。
ヴァル・シオンのように、一人で十三騎全員を相手にできる(と思われる)程の強さは、彼女達にはまだない。
フレア・フレイアが弱いのではなく、ヴァル・シオンがあまりにも強すぎるのだ。
『魂の古さだけなら赤い方が一桁は上でしょうにね……想いの差かしら?』
エランのものでも、ヴァル・シオンのものでもない第三者の声。
「あなたは……」
「…………」
「数万年越しのフレア(怨念)とフレイア(無念)よりも、あなたの千年の献身の方が遙かに純粋で激しい……と言うことなのかしら、古の戦士(ヴァル・シオン)?」
二人の前に姿を現したのは、エンジェリック家現当主ティアリス・クリア・エンジェリックだった。



「ふむ……これが今世の服装(ファッション)というものか?」
ラスト・ベイバロンは姿見の前に立っていた。
彼女の衣装は極東に現れた時と少し変わっている。
紫縁の緋色のドレスは胸元を大きく切り抜かれ、側面も左右三つずつの紫色のバンドで留められただけで、露出度が以前より格段に増していた。
ドレスの裾には、『獣』の意味を持つ一筆書き六芒星が紫糸で大きく刺繍されている。
二の腕(肩と肘の間)から手首にかけての緋色の着物袖、黒のロンググラブ(中指ひっかけ型)とオーバーニーソックスは健在で、生腕や生足を晒すよりも官能的だった。
「ええ、とてもよく似合ってますわよ。ほんのちょっと弄っただけですけど、格段に洗練されて素敵になりましたわ〜」
ある意味自画自賛。
月黄泉は自分の『コーディネイト』に大満足だった。
伊達にソーイングマスター(裁縫の達人)などと呼ばれていない。
相手の得体が知れなかろうが、怖かろうが、似合わない服を着せておくことなど彼女には我慢ならなかった。
以前のドレスには露出と装飾が足りないと判断するなり、勝手に『改造』してしまったのである。
「そういうものか? まあ、悪くはない……」
ラスト・ベイバロンは右手に持っていた紫のマントを羽織ると、姿見の前から離れた。
「随分と仲良くなったものですね……」
マイペースに一人紅茶を飲んでいたコクマ・ラツィエルが呟く。
極東の島からラスト・ベイバロンの『住処』に移って約一日、いまだおっかなびっくりといった感じだが月黄泉は大分ラスト・ベイバロンに馴れたようだった。
少なくとも、コクマの目には二人は充分『仲良し』に見える。
「べ、別にそんなんじゃ……んっ……」
月黄泉は歯切れ悪く否定すると、緑茶(極東産のグリーンティー)を啜った。
玉露(最優良の煎茶)である。
容姿的には西方人ぽい彼女だが、月黄泉の時は嗜好も極東寄りだ。
「…………」
ラスト・ベイバロンはテーブルにはつかず、ワイングラスを手に取るとそのまま口づける。
「……ふん、やはり葡萄酒(ワイン)など気休めにもならん」
一口含んだだけで、ワイングラスを床へと叩きつけた。
「おや、かなりの年代物なんですが、お口に合いませんでしたか?」
「酒の善し悪しなど知ったことか、我が『渇き』を癒せるのは、強者の血肉のみ……」
ラスト・ベイバロンが欲するのは強者の心臓(命)から絞り出した聖き血(ワイン)。
聖血(せいけつ)に比べれば、ワインなどどれほど上等なものでも代用品に過ぎない、いや、代用品にすらならなかった。
例えるなら、吸血鬼に血の代わりにトマトジュースで我慢しろというようなものである。
「それはまた贅沢な舌をされていますね、味覚が肥えすぎですよ」
「フッ、貴様ならこの前の赤い女にも劣らぬ極上な命(モノ)を提供してくれそうだな」
ラスト・ベイバロンの太陽のように赤い右目が、コクマ(獲物)をギロリと睨みつけた。
「いえいえ、私は性根が腐っていますので、きっと不味いですよ」
狩人の眼差しを向けられても、コクマは欠片も焦ることなく飄々としている。
「ふん、喰えぬ土塊だ……」
ラスト・ベイバロンは愉しげに鼻で笑うと、赤い瞳から殺気を消した。
『神』である自分を敬わ(恐れ)ぬ土塊など、本来なら一瞬たりとも存在を許せぬところだが、なぜかこの変わった土塊の飄々とした態度は不快に感じない。
寧ろ好ましく、興味深くさえ思えた。
「けっ、随分と楽しそうじゃねえか」
唐突に聞き覚えのない男の声が生まれる。
三人しかいなかったはずの部屋の中に、いつの間にか『四人目』が加わっていた。
「何だ、貴様?」
ラスト・ベイバロンは、扉の前に立っている青年を睨みつける。
青年は血のように赤い髪と瞳をしていた。
年齢は二十歳ぐらい、赤いジャケット、黒シャツ、青いジーパンといった、とてもシンプルでラフなファッションをしている。
「おやおや……」
「…………」
コクマは意地の悪そうな微笑を浮かべて青年を眺め、月黄泉は青年には欠片も興味を示さず静かに玉露を啜っていた。
「アルコンテス……て言えば察しがつかねえか?」
青年は口元にワイルド(野性的)な笑みを浮かべる。
「……アルコンテス(支配者たち)ですか……?」
ラスト・ベイバロンよりも速くコクマが反応し、言葉の意味を口にした。
「はっ、てめえには聞いてねよ」
「これは失礼……」
青年とコクマは視線を合わせ、互いに口元の笑みを深める。
「アルコンテス……アルコーン……偽天使(ぎてんし)か……またつまらぬ物を……」
ラスト・ベイバロンは本当につまらない物を見えるような目を青年に向けていた。
「つまらぬくて悪かったな。まあ、囚人に逃げられたことにも気づかないマヌケな牢番よりはマシだがな」
「何だと……?」
「所詮てめえはただの『鍵』、無責任に塵を捨てるだけで、管理もできねえ役立たずだ」
青年はラスト・ベイバロンは見下し嘲笑う。
「貴様……『使い』の分際で……」
ラスト・ベイバロンの赤い右目に怒りの炎が宿ると、彼女の左胸に緋色の薔薇の紋章が浮かび上がった。
「おお、怖い怖い〜」
口では怖いと言いながら、青年は握り締めた両手を胸の前に持ってきて戦闘態勢をとる。
「伝言は確かに聞いた……用が済んだのならさっさと我が前から消えよ!」
「そう邪険に……ああ?」
ラスト・ベイバロンが青年を『消そう』と右手から緋炎の大蛇を放とうとした瞬間、背後の扉ごと青年がバラバラに切り刻まれた。


「…………」
切り刻まれて開かれた扉の向こう側に、右手を巨大な黒刃に変質させたシャリト・ハ・シェオルが佇んでいた。
彼(彼女?)の前床に散らばっているのは扉の残骸だけで、一緒に切り刻まれたはずの青年の肉片は見あたらない。
「駄目ですよ、シャリト・ハ・シェオルさん、人様の家のドアを勝手に壊しては……」
本気なのか、冗談なのか、扉を破壊したことをコクマは注意した。
「……逃がしたか……」
シャリト・ハ・シェオルは巨大黒刃を元の普通の右腕に戻す。
「今のは……いや、聞くまでもないか」
「ええ、おそらく間違いないでしょう。本当静かに眠れない方ですね」
コクマとシャリト・ハ・シェオルには、青年が誰なのか解っているようだった。
「それより、他にも誰か居ませんでしたか? 一人、二人、いや、ある意味ではもっと大勢に感じましたが、やはり一人……?」
「……一人だ。他の気配は私のアザトースやノーデンスのようなモノだ……」
「ああ、やっぱりそうですか?」
コクマには、青年がこの部屋に侵入したのと同時期に、もう一つ微かな気配が此処(ラスト・ベイバロンの住処)に入り込んだ気がしていたのである。
「実に見事な気配の消し方でした……持っているモノの方の気配がなかったら存在に気づかなかったでしょうね」
侵入者本人の気配は恐ろしく希薄だった。
「それにしても良く似ていますね……気配の消し方も、皆無に等しい僅かな気配そのものも……」
「あの死神か……?」
シャリト・ハ・シェオルもあの気配には覚えがある。
前の自分(アクセル・ハイエンド)が最後に戦った敵、最後に庇ってしまった少女だ。
「ええ、ですが彼女ではありませんよ。似て非なりものです、同じ素材から作られた料理でも味が違うようなもの……」
「私にはそこまでの違いは解らん……」
コクマと違い、シャリト・ハ・シェオルには侵入者とタナトス・デット・ハイオールドの区別はつかない。
同一人物の気配にしか思えなかった。
「何より、タナトスだったらあんな気配(モノ)を引き連れていませんよ」
あまりに完璧な気配消しだったために、逆に際立ってしまった複数の気配。
「全部で七つでしょうか? おそらく武器か道具でしょうが、全て合わせれば、あなたのアザトゥースとノーデンスにも匹敵……あるいは凌駕するかもしれませんね」
一つ一つでは『魔王』クラスにちょっとだけ劣る魔力(魔性の気配)が混雑して複数存在していた。
「おそらく、最高位の魔族か悪魔あたりを『材料』にして創ったのでしょうね? とても邪悪で禍々しい波動……」
異界の『魔王』と『神』から武器を創った男が、楽しげに微笑う。
「お前のような変人が他にもいるということか……」
シャリト・ハ・シェオルは何となく自分の両手を眺めながら言った。
この両手……いや、この体には此処とは異なる世界の魔王と神が材料として使われているのである。
「何でもいいけど、寒いからその扉直して頂けないかしら?」
一連の出来事に完全に我関せずだった月黄泉がボソリと言った。
「フッ……我が両手は破壊しか生み出さなぬ……」
シャリト・ハ・シェオルは月黄泉の注文(非難)に、自嘲的な微笑で応える。
「格好つけて無責任なこと言わないでよね……」
月黄泉は諦めと呆れの籠もった溜息を吐くと、シャリト・ハ・シェオルからこの部屋の持ち主に視線を移した。
「…………」
ラスト・ベイバロンは何事かを考え込んでいるようで、こちらのやりとりには一切関心を示さない。
「……コクマ」
仕方ないので、月黄泉は最後に残った男に視線を向けた。
「何ですか、月黄泉さん?」
「それ、あなたの作品(物)でしょう? 責任はあなたが取りなさい」
「む……」
シャリト・ハ・シェオルは指差され物扱いされたことに文字通り一瞬むっとしたが、特に反論や文句までは口にしない。
「御自分で直せばいいのに……」
コクマがパチンと指を鳴らすと、たったそれだけで扉が元通り完璧に修復された。
「魔術と冥界の女神とも呼ばれるあなたならこれくらい容易いでしょう?」
「あら、なぜ私が貴方の作品の不始末のために魔力を消費しなければいけないの?」
馬鹿ね、何言ってるのよ?……といった表情を月黄泉は浮かべる。
「まあ、いいですけどね……」
セコイというか、傲慢というか、流石は魔皇の奥方様(主婦)だ。
「……腹が空いた……」
シャリト・ハ・シェオルが無表情で淡々と空腹を訴える。
「はいはい、解りました、すぐに用意しますよ。普段なら勝手にその辺で何か狩ってきてくださいと言うところですが……」
「…………」
「この氷の大陸(ガルディア)ではそうはいきませんからね……」
コクマは微笑を浮かべると、修復されたばかりの扉を開けた。










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一言感想板
一言でいいので、良ければ感想お願いします。感想皆無だとこの調子で続けていいのか解らなくなりますので……。



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